100回目のブログ

全く続かないブログです

「すればいいじゃん」「やればいいじゃん」という言葉がアドバイスになった試しがない

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こんにちは、お久しぶりです。

悩みや愚痴ってありますよね。結構かなりあると思います。そしてよく言いますよね、「悩みとか愚痴がある人は解決したいのではなく話しを聞いてほしいの。」という言葉ありますよね。

で私、すぐ悩みとか相談とかに対して「○○すればいいじゃん」って言っちゃうのですよね。これが全然響かない。アドバイスになった試しもなければ感謝されたためしもありません。すぐ言っちゃうんですけどね、やりゃいいじゃんて。ダメっぽいです。相談したひとからしたら全くピンと来ないそうです。いやそういうことじゃないんですよね、的な。

言葉ではどうしたらいいかなと言いつつも、こうしたらいいという話をすると、そういう事じゃないのです。言葉は言葉通りに受け取るもんじゃないなと最近思います。

ああ、良いアドバイスができる人間になりたい。

 

得意なことで生きていく

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こんにちは、パソコンに向かうことが得意な者です。

「好きなことで生きていく」より「得意なことで生きていく」の方が良いのではと思った今日この頃。

「得意なこと」とは苦痛なく続けられることです。苦痛なく、というところがポイントです。人間そもそも何かを続けることなんてできないと思うのですよね。早起きしかり、筋トレしかり、読書しかり、ブログしかり、勉強しかり、絶対に続けるんだと思って初めて続く確率ってほぼ0%なんじゃないでしょうか。続けようと心に誓った数多くのことが続いた試しがありません。ずっと続けられることを見つけられたら奇跡なのかなと思います。

なので、苦痛なく続けられたことと、適切なトレーニングが、ライバルと圧倒的な差がつけられるポイントでもあり、そこを磨いていくことがストレスなく生きていくことに近づける方法なのかなと。得意なことが好きなことと重なったら最高ですが、得意なことの上に好きなことを持って来ても良いと思うのですよね。好きは後付けでも良いと思います。

いろんなことに手を出すのは得意なことを見つけるために必要なことであり、得意なことのクオリティを上げる作業は避けられなくもあり、だからこそ苦痛なく続けられることって大事ですし、それを見つけられた人は幸せものだと思います。

就活でよくある潤滑油とかも、苦痛なくできるのであればそうっちゃそうなのとも思います。ただ、みんなやろうとすることはライバルが多いのでレッドオーシャンになりがちです。なので見つけられると一番良いものは、ライバルが少なく、社会のニーズがあるもの、その中で自分の得意なことを見つけられたら、最高ですね。

ちなみに私はパソコンにずっと向かってられます。好きとかではないのですが、とにかく向かってられるという。なのでプログラミングはずっとやってられますし、おかげで技術もそこそこ理解できます。そんなことでも、それができないで困っている人もいるのです、その中で自分をポジショニングできれば生き残れるという。

 

ゴールデンウィークが終わってなんとなく思いました。血眼になって好きなことを探すより、人より少し得意なことを見つけましょう。

 

個人がフューチャーされることに思う

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こんにちは、お久しぶりです、影響力とは程遠い者です。

 

最近、個人というものがすごくフューチャーされていますよね。新しい働きかたであったり、ツイッターでの影響力であったり、valu・タイムバンクというサービスがあったり、革命のファンファーレであったりと、個人でも新しい働き方ができる、という流れがとてもあるように感じます。個人的にはとても良いことだなあと思っています。個人が力をつけるというのは、組織に属さないでも食べていけるということですからね。新しい働きかたってすごくかっこいいです。自分で生きるコミュニティを選べて、自分の才能で価値を発揮する、かつてない感覚。これが普通になったらどういう世界になるのかなと思います。

ただ、こういう新しいことへの期待感て、歴史を繰り返している感も否めません。個人で食える人って、超スーパーやばい人(良い意味で)だと思うのですよね。そもそもがまずとてもすごい人なんで、それを自分に置き換えると、、、成功確率って実はすごい低いかもしれない。人生を充実させるという目的を選んだ時に何を成功とするかって話にもよりますけどね。自分のコミュニティで幸せならいいじゃん、確かにその通りだと思います。いいんだけど、いいんだっけ?というか。

ひと昔前に、foursqureとかあったじゃないですか、あとdommunとか、ああいうサービスがぼんぼん立ち上がった時ってすごいわくわくしたのですよね。ウェブサービスがネット系の人以外の、普通の人にも広まっていくという感じが、これから何が起こるんだろう!!!!!!という圧倒的期待感。ただ、結局foursqureはやってる人聞かないし、dommunも私の周りでは聞きません。そんな中ビジネスとして成功してたのは、課金しまくりのソシャゲだったり、出会いアプリが大成功してたりとか、成功したものはワクワクしたものよりも、本当に需要があるものというか。なんだかなーと思います。

個人がフューチャーされても、ビジネスモデルの戦いになるとおもうのですよね。プレイヤーが増えれば結局、戦いになるのかなと。そうなった時、結局大変なのではと思います。個人でやってれば責任は全部自分ですからね。

 

結論何が言いたいかというと、個人がフューチャーされるのもそれはそれで結構きつそうだなと。矢面にたてる人って矢面にたてる才能がある人だと思うんですよね。

 

個人がフューチャーされる時代は、今の時代のタイミングなのか、それとも違うのか、どうなんだろうなーと思いながらGWを過ごしています。

漫画アオアシを読んで自主性について考えた話し

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こんにちは、自主的にブログをたくさん書きたく思っている者です。

最近アオアシという漫画を読みまして、おもしろいなと思って読んでいます。自分の好きな漫画ベスト5には入るくらいおもしろいです。オススメですよ、アオアシ。

[まとめ買い] アオアシ

[まとめ買い] アオアシ

 

サッカーユースが題材の漫画なのですが、切り口といいますか、サッカー漫画としての切り口がこれまでになかったのかなと。論理的思考、自主性、コーチングとティーチング、などなど、漫画なのですが漫画を通してビジネスに通ずる気づきもあるなと、そういう漫画です。

ただいま12巻まででてまして、全体的にずっとおもしろいのですが、特に武蔵野戦の望監督の話しは涙無しでは見れません。泣けるから良いという事ではありませんよ。けど、すごい好きです。望監督はちゃんと言う。なぜそうなのかという事をちゃんと言うというのは、とても大事なんだなと気づかせてくれます。

 

さて、自主性の話しです。最近自主性って大事だよなあと思う機会がありました。アオアシでも出てくるんですよ、自主性。2巻(3巻かな?)の主人公の「オレは本当になんでも学ぼうという姿勢だったんだろうか」(うろおぼえ)、という気づきは、自主性というテーマにおいて、とても深い気づきだなと考えさせられます。主人公程の境遇があっても、本当の意味での自主性がなかったかもしれないし、自主性は測れるものでもない、そして気づき難い事でもあります。自分の中で最大限前のめりになっていると思っていても、他人からみたら全然前のめりでは無いかもしれないのです。

自主性ってどこで育まれるものなんですかね。 親が教えてくれるものでしたっけ。それこそ小学校で「自主性」って授業あっても良いと思うくらいです。自主性がある人とない人が一緒のチームになると、ギャップがすごいというか、、相容れないというか、そんな状態になるなと感じます。中学の合唱大会とかね、斜に構えて参加しないとかね、なんやねんと。

言われたからやる、ゴールを設定されたからやる、ではなく、言われないでもやる、ゴールに向かって自分で道筋を立ててやる、という事が習慣化している人は、、、素晴らしいと思います。

ただ、発揮できない人はできないなりの理由があるのだろうとも思います。その場所は自分にとって発揮できる場所ではないんだろうなと、もっと自分の力が120%発揮できて前向きにできる場所とかやりたい事ができる環境もあって、たまたま今の場所がそうでないだけなんですよね。わかります。でも、今この瞬間やりきるのはどうでしょうか。

 

アオアシ、是非読んでみてください。 

 

 

ビットコインのブロックチェーンについて調べる

ビットコインブロックチェーン

こんにちは、ビットコインのことを調べている者です。

前回の記事(オープンソースプロジェクトを眺めてみる)で、ビットコインのソースでも眺めてみようかなーと思い、眺めています。

ソースをみてみようと、gitを眺めて見ましたら、.cppとか.hとか。いろいろあるわけです。.hってcだっけ、cppってc++?とか思いながら見ていました、つまりよくわかりませんでした。

色々調べてみると

 C++やJava、nodejs、Go言語、pythonなど複数言語実装あり。

というような情報を見つけたり。言語はそんな感じみたいですね。

 

ソースみてもよくわからないやと思いつつ、、いろいろ調べつつ、、ビットコインの情報は外部から参照できるんですね。blockinfoというサイト見つけて眺めたり。知らない言葉いっぱいだなーと思いつつ。ひとつずつ潰してけばいいのかなと思ったり。

ビットコインの情報を調べていると、ブロックという言葉がたくさん出てきます。ブロックチェーン、ブロック、ブロック高、次のブロック、ブロックぶろっく、、なのでブロックについて調べて見ました。ブロックてなんなんでしょう。

ブロックはビットコインの概念みたいなもののようです。いくつかの取引の塊、それが1ブロック、その1ブロックがつながるからブロックチェーン。という感じみたいです。とはいえブロックって何?という疑問は残りますが、まあそういうことなのでしょう。

なんでブロックという概念が必要なのかはイマイチわからなかったのですが、ブロックチェーンがお金の取引に適しているという説明で腑に落ちたサイトを見つけました。

bitcoin.peryaudo.orgここの「ブロックチェーンで二重譲渡を防ぐ」という項目を読んでなるほどなと。P2Pというそれぞれが独立したマシンが連結しているのに、2重の取引(不正)を起こさせない仕組みが、ブロックチェーンという仕組みということになるのかな、と解釈しました。なので非中央集権でも成立する、ということなのかなと。

1つのブロックになんでいくつも取引がある必要があるのか、なんでマイニングが必要なのか、承認てなに、とかいろいろ疑問はありますが、今日はこんなところです。

ビットコインはブロックチェーンを採用することで、P2Pでも不正ができない取引を実現しているということなのですね。

解釈が違ってたらすみません。

オープンソースプロジェクトを眺めてみる

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こんにちは、ブログの更新がすっかり止まっていた者です。何事も続けるって難しいなあとぼんやり思っています。

今日は、はるかぜちゃんのお金に関するブログを読んだりしてなるほどなあと思ってました。労働に対する対価、労働の実感、たしかに大事ですね。あげたお年玉がスマホ課金に使われてしまうという話し、課金する子供にとっては課金できることが何よりも大事なんだろうとも思いますし、しかし、お金をあげた人が必ずしも満足するわけではない、というのはなんだか切ないなあと思います。汗水血反吐を流して稼いだお金が、自分からしたら全く価値の感じないガチャ(しかもハズレ)になってしまう、という泣ける話しです。

 

さて、最近は仮想通貨界隈盛り上がっています。コインチェックの事件が起きる前はもっと盛り上がっていました。今は少し落ち着いてますかね。とはいえ、エンジニアの界隈でもブロックチェーンはホットワードですね。(そうですよね?)

エンジニアの私からしたら最新の技術は興味があるわけです。去年は、ディープラーニングが流行ってましたし、あとVR・MRとかIOTとか、おもしろい分野はたくさんあります。私自身はというとちょこちょこ手を出しては、こんなことできるんだー、すごー的な感じで触れてきています。

そんなことを考えながら、オープンソースでも眺めてみようかなと思い立った今日この頃です。

 

ビットコインのソースコード

github.comどんなことしてるのかなーとか、ゆるい感じで眺めてみようと思います。

 

自分を客観視できる人は素晴らしい

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こんにちは、なかなか自分を客観視できない者です。

突然ですが、最近いろんな人に会って自分を客観視できる人はいいなあと思いました。

客観視できない人の特徴

自分を過大評価・過小評価している人は概ね当てはまるかと思います。

  • 本気出せば自分はできると思っている人
  • 自分こんなに頑張ってるのになと思っちゃう人
  • 明日から本気出すとか思っちゃう人
  • 自分の失敗を認められない人
  • 自分は全然ダメだなと思っちゃう人

などなど。

程度の差はあるものの、客観性の余地があればいいと思うんですよね。「自分は頑張ればできる!(でも本当は頑張ってもできないかもしれないよな)」とか、過大評価している傍で、少しだけ客観的な視点を持つとか。0か1の話しでもないのかなあと思います。

客観視できないと何が良くないか

目標に対するアクションがブレます。結果間違った努力をしてしまう(と思います)というのが良くない。

どういうことかという体験談なのですが、私は高校生の時に部活をやってまして、そして全く自分を客観視できない人間でして、ギリギリ控えかレギュラーか、みたいな位置にいたんですね。

そういう位置にいる自分のことを客観視できない人間がどういう思考になるかというと、「なんでこんなに上手いのにレギュラーになれないんだろう」「レギュラーになってるのは監督のお気に入りだもんな」とか思っちゃうわけです。本当は単純にレギュラーになる理由が足らないだけなんですけどね。肝心なところでミスするとか、スタミナがないとか、そんな理由です。

その時に自分のことを客観視できてれば、ちゃんとした努力ができる(できるかわからないけど)のではないかなと思います。人のアドバイスも冷静に聞けるのではないかなと思います。

そういうのもったいなかったなあと思います。客観視する能力ある人っていつ身につけたんですかね。学校でそういう授業ありましたっけ。すごいですよね。

といってみたものの

でも、自分の客観性を自分が判断するって何か良い方法あるんですかねえ。。。客観性を主観で判断する、というのは何か矛盾を感じます。

自分が気づかないとどうにもならない考え方というのを人に理解して欲しい、どうにかならんもんなのかなあとモヤモヤ思っています。