100回目のブログ

全く続かないブログです

すごい考えて行動した結果、意図した効果が発揮されない現象

元ヤンの話しを見て、なるほどなと考えることがありました。ずっと一般人の者です。

togetter.com

このトゥギャッターの記事、偉い偉くないという話しの中の一文

たぶん議員さんが言っている”元ヤンキーを売りにしているひと”の中には ”聞かれてもいないのに元ヤンキーだった話をする人”もいると思うのですけれど そういう人には”俺は元ヤンキー=悪い人だから 先に伝えないと不誠実だ”という心の働きがあることがあります

とのこと。こういう気持ちもあるのですね。

この、ヤンキーの自分のことを話してフェアな状態にしなきゃ不誠実じゃないかという考え方。なるほど。全てのヤンキーがそういう意図で伝えるとは思いませんが、自分の状況を考えた結果、フェアな状態にしようと思ってのことなのかなと。自分に保険をかけるというか、後出しで悪い情報を出すよりは始めに、ある意味自虐的に自己紹介をする、という感じなのかなと思います。とにかく相手に対して誠実であろうとした結果なんですね。考え方のプロセスはすごい誠実だと思います。

ただ、この情報を伝えられる人間は元ヤンキーに対して「先に情報を伝えてくれてなんて誠実な人なんだろう」と思うかはちょっと疑問。思うのかな。思わなそう。いろいろな捉え方をされると思いますが、誠実だなと思う確率めっちゃ低そうじゃないですかね。

人のために何かを考えることはとても素晴らしいことだと思ってまして、それ自体を否定するということではないです。元ヤンキーに元ヤンキーだって言わないでほしいということでもないです。また、元ヤンキーが考えてとった行動が無意識的に出てしまうというのも、それはそうなのだろうなと思います。

ただ、元ヤンキーが考えに考えて、フェアに接するためにとった行動は意図通りに伝わらないんじゃないのかなと。自分の誠実さを説明するために言った言葉は、誠実と思ってもらうという目的とは検討外れの結果になるのではないのかなと思います。なんということでしょうか。

こういう、考えに考えて行動した結果、自分の意図とは全然違うように伝わる現象。いいとか悪いとかではなく、そういうことって結構多い気がします。

意図とか、言葉の裏側とか、難しいなーと思う今日この頃です。